楽斎 陶歴

尾西 楽斎
明治43年4月10日生

赤膚焼は天正の頃、郡山城主大和大納言秀長公によって
創始された。その後廃窯になっていたが、柳沢尭山公が
再興し、天保の頃、奥田木白が出て赤膚焼の名声を挙げた。
この木白の生地、大和郡山に香柏窯を興し木白を敬い、
木白写を主に灰釉や萩釉の花入、茶碗、香合などの茶陶を
専らとしている。奈良絵を基本とした色絵の作品に創意工
夫がなされ、茶情のある作品が作られている。

 奈良県美術協会理事
 奈良県工芸協会理事
 日展八回陶賞
 現代工芸展七回出品
 米国最高金メダル受賞
 奈良県展審査員
1957年アメリカ カリフォルニアデザイン最高賞受賞
1984年献上茶壺を製作
1990年勲五等双光旭日章受章

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尾西楽斎作 赤膚焼 蓋置(三人形)[11-0041]